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天空、大地の恵みに感謝、そして祈りを

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常世田の薬師さまのご開帳への行きすがら、あらっ、こんなのが、と  門松、注連飾りを模しているんですよね? 芦崎方面の銚子西部地区には田んぼが今でも多く存在しますが 東部地区では唯一といっていいじゃないかな、ここは、、、 小畑とか高神原(庚申さまの下)の当たり、みんな田んぼだったね (三崎・高松の池の北側 平成31年1月8日) 奥は収穫間近かのキャベツですが、こちらはなんだろう? お百姓さんたちの土へのそして自然に対しての心、日本(日本人)ならでは! ちなみに(永らく棲した)大陸では”老百姓”とは一般庶民の意 (三崎・国道126号線沿い  平成21年1月8日 ) 田畑に 五穀の実り 多かれと 神を迎へし 祈り捧ぐる  

常世田の薬師さま

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भै 薬師瑠璃光如来 オンサラバ タタギャダ ハンナマンナ ノウキャロミ 年に一度のご開帳(1月8日)の日、常世田の薬師さまへお参りに、、、 (ご開帳に詣でるのは10年ぶり) 桜の咲く季節に又来てみよう अहूँ 仁王門 左右に配されてる阿・吽の金剛力士像、みるも無残な埃だらけ 銅葺きになって初めての参詣です 行基菩薩の開基とされてますが創建時は不明だそうです。 おそらく平安末期か鎌倉時代なんでしょう、 ご本尊様の胎内に有った修復の記などによりますとね。 行基が奈良時代ですから、ひょっとしてもっと古いかも? 2008年の大掃除で新たな資料が見付かったとか、、、 江戸彫 り、彫工は誰なのか、いつ頃のものなのか興味が尽きない! 瑠璃殿 これもまたいつ頃のなのか、書かれた書者の名がうっすらと この瑠璃殿に於けるあり日の祈祷護摩、かなりの盛況だったそうです 生前、父(明治生まれ)が言ってました、辺田の地蔵さま、 ここ常世田の薬師さま、子供の頃よく親に連れられて行ったそうです 「よぐ、流行ったど」って・・・ 特にここでの護摩は凄かったらしいです!? 南蛮燻しのような(今でもどこかの山でやってますね)煙、で、、、 秘仏とされてたこの本尊が納められた厨子の御開帳、ほんの一瞬しか開かないらしい 眼病に効く、とされてるこのご本尊さまを一目排ようと、、、 萱葺き屋根にうっすら雪が  2006年1月8日   お堂は江戸時代の 寛文13(1673)年建立  萱葺き寄せ棟造り 貴重な萱葺き屋根でした・・・   2009年1月8日  境内には白山権現が鎮座してます、神仏混合時代の典型的な様ですね   白山権現は台密のお寺に多いのですが、ここは東密の寺です 元来台密に比べ東密は薬師如来に主きをおいてなかったようです 明治になり国家神道の名の元に「神仏分離令」によって 天台のお寺さんは神道系に衣がヘしたところが多いです、 ちなみに「三峰山」 出羽三山も多難な時期がありましたね 概してこの常灯寺にみられようような「加持・祈祷」を主たる寺は 衰退を余儀なくされていったわけです。 山王一実神道・両部神道   ...
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新年明けまして おめでとうございます 本年もご愛顧の程よろしくお願い申し上げます 平成31(2019)年 元旦 於、 君ヶ浜 デフォルトに 為るか成らぬか 試される 技量 ちから あるかな  信 ざつ 一 ろ

犬岩と犬若、の湧水

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夕陽に照らされて でぇの上へ 遥か遠い昔をもこの地に訪れたであろう高野聖・修験者たち (法螺貝の音に先導されて) 祠に一礼して・・・ 大赤字! 市も金だしでっだっぺ(野尻も)油壺なんがのロケーションと違って ハイソな層はこんなどご遠ぐでよ艇なんが泊めねぇよ 文化センターやめねぇでこっち先に廃止しろよ隣の岸信介の妾のがぎがやってるそごも   ここから見ると猫のようにも、、、 越冬鴎が羽を休めてます 撮り損ねましたが、鯉がいました! 1960年代ここが埋め立てられる前”海水浴場”として 親しまれた頃、よく遊びに来てましたので 憶へてます。 遠浅でしたのでここまで歩いてもこれました 海水面ぎりぎりの所で写真のように岩の間から湧き水が・・・・  ふと空を見上げると 三沢から厚木基地へ向かうのでしょう、米軍戦闘機 (銚子沖で進路を変えて、定期便ですよく見かけます) 戦後GHQ体制がまもなく終わりを告げようとしてる昨今 庶民にはあずかり知れない所で何者かに支配されてる わが街銚子にその縮図を見る思いがする今日この頃・・・・ どことなく寂しげに、誰を待つのか もしかして、あの風力発電が 邪魔だ! と言ってるのかも 寂しげに 沖を見つめる 犬岩に 彼方に静む 夕陽慰む   写真:1,2,13-15, '18.12.1. 3-7, '09.1.17. 8, '09.1.27. 9-13,17, '09.2.8. 18, '11.10.25.