常世田の薬師さま

भै 薬師瑠璃光如来
オンサラバ タタギャダ ハンナマンナ ノウキャロミ
年に一度のご開帳(1月8日)の日、常世田の薬師さまへお参りに、、、
(ご開帳に詣でるのは10年ぶり)
桜の咲く季節に又来てみよう
अहूँ 仁王門
左右に配されてる阿・吽の金剛力士像、みるも無残な埃だらけ
銅葺きになって初めての参詣です
行基菩薩の開基とされてますが創建時は不明だそうです。
おそらく平安末期か鎌倉時代なんでしょう、
ご本尊様の胎内に有った修復の記などによりますとね。
行基が奈良時代ですから、ひょっとしてもっと古いかも?
2008年の大掃除で新たな資料が見付かったとか、、、
江戸彫り、彫工は誰なのか、いつ頃のものなのか興味が尽きない!
瑠璃殿 これもまたいつ頃のなのか、書かれた書者の名がうっすらと
この瑠璃殿に於けるあり日の祈祷護摩、かなりの盛況だったそうです
生前、父(明治生まれ)が言ってました、辺田の地蔵さま、
ここ常世田の薬師さま、子供の頃よく親に連れられて行ったそうです
「よぐ、流行ったど」って・・・
特にここでの護摩は凄かったらしいです!?
南蛮燻しのような(今でもどこかの山でやってますね)煙、で、、、
秘仏とされてたこの本尊が納められた厨子の御開帳、ほんの一瞬しか開かないらしい
眼病に効く、とされてるこのご本尊さまを一目排ようと、、、

萱葺き屋根にうっすら雪が 2006年1月8日 
お堂は江戸時代の寛文13(1673)年建立 萱葺き寄せ棟造り
貴重な萱葺き屋根でした・・・ 2009年1月8日
 境内には白山権現が鎮座してます、神仏混合時代の典型的な様ですね
 白山権現は台密のお寺に多いのですが、ここは東密の寺です
元来台密に比べ東密は薬師如来に主きをおいてなかったようです
明治になり国家神道の名の元に「神仏分離令」によって
天台のお寺さんは神道系に衣がヘしたところが多いです、ちなみに「三峰山」
出羽三山も多難な時期がありましたね
概してこの常灯寺にみられようような「加持・祈祷」を主たる寺は
衰退を余儀なくされていったわけです。
山王一実神道・両部神道 
 拝礼堂
東京からも観光バスで、、、
左脚が上の結跏趺坐像は非常に貴重です!
oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā
鎌倉時代に作像されたらしいのですが、運慶・快慶の作に匹敵するできで、
彼等の弟子の作ではないのかとの、、、。

戦後、調査目的でお堂を覗いたときにお前立本尊の立派なのに感心し!
さぞかしご本尊さま「すごいぞ!」、やはりそうでした。

オンボウチシッタボダハダヤミ

13年前に初めて潜り、10年前にも、そして今回もお洞を、、、 
中はくの字になってまして、
何体あるかは数へませんでしたが立(石)像が安置されてます
その中央にひときわ威光を放つ薬師如来が座しております

天保八の文字が見へますね、
天保水許伝に縁の土地柄(笹川・飯岡が近い)ですのでその時代の
その世界の誰かが寄進したものかもしれませんね、病気平癒を祈って。
浄光瑠璃、ふくよかな眼差しお姿、すうぅっと吸い込まれるような・・・・

鐘楼下に出てきます
往時、祈祷寺としての繁栄を垣間見る造りの常燈寺
 銅葺き屋根完成時僧侶・修験者等による落慶護摩法要やられたのだろうか
是非灌頂にあずかりたいものです!
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ 五体当地 合掌

常世田の 薬師に詣で 手を合わす 
念ずる心 幸あることを      
 
  
 

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